ゼウス神殿

オリンポス最高神ゼウスに捧げられた、オリンポス山に建つ神殿跡。

オリンピアの守護神たるゼウスには、当初神殿がなかった。
妻であるヘラの神殿に一緒に奉られていた為。
ゼウスの為の祭壇も作られたが、川の氾濫で流されてしまった。



紀元前515年にカルタゴとイメラへの戦勝記念に、巨大神殿の建築着工が始められた。


アテネのペイシストラトスによって、着工するも彼の失脚と共に工事は中止されて、建材の一部は、紀元前5世紀初めに造られたテミストクレスの市壁に流用された。



紀元前2世紀に工事が再開されて、クレピス[石段付きの基台部分]と、セコス[神殿円柱内部の建造物]は、この時代・紀元前5世紀~4世紀に建造された。

174年セレウコス朝アンティオコス四世エピファネース王[前175-164年]は、同じ基台の上に全く新しい神殿を建て直す事を決意した。
そして、ローマの建築家デキムス・コッスティウスを雇い入れた。

🔷️神殿の長さ110m×幅43m×高さ17m

神殿の前後には、8本の円柱が三列ずつ建ち、側面には20本の円柱が二列ずつ並んで、総計104本のコリンソス様式の柱が並び、アクロポリスをしのぐ壮観な建築といわれた。

その後、アウグストゥスと同盟王たちが工事を継続して、現存する柱の一本がこの時代に属する物と考えられている。

王が死んだ時は、神殿は未完成だったが現存する円柱は、1本を除いて全てこの時代の物でペンテレー産大理石を用いていた。

神殿が完成したのは、300年後の2世紀ローマ皇帝ハドリアヌスが、131年の冬に奉献式を祝った。

この皇帝を祀った祭壇も置かれて、アテナイにおける帝崇拝の中心となった。



帝政期に造られたのは主として、境内・進入路、そして神殿奥に金と象牙で出来た巨大なゼウス像[※世界七不思議の一つ]であった事が、明らかになっている。

4世紀のゴート族の進入とローマ帝国による異教で、神殿は破壊されてゼウス像が失われる。
長い年月の間に神殿も完全に倒壊してしまった。

更に18世末に至るまで、公共建造物の資材供給所となり、保存状態が極めて悪いものとなって、発掘されて再び日の目をみる様になった。



現在残っているのは、基礎と15本の柱と倒壊して輪切りになって散らばっている柱のみが残されている。

ゼウス神殿を支えた巨大な男像柱がレプリカで横たわる形で復元されて、実物は考古学博物館に保存されている。







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