アルテミス神殿
  【アルテミス神殿跡地】

古代の地中海世界における、世界七不思議のTつ。

紀元前550年、天上の雲をも突き抜けると言われた巨大神殿が、リディア王クロエサスの命令で、クレタの建築家ケルシプロンによって、設計建築された。

そして120年の歳月をかけて、イオニア式の2重列柱式の神殿が完成した、

🔷️縦115m×横55m×高さ19m。
総大理石造りで、円柱127本からなっていた。

神殿内の広間には、高さ15mのアルテミス像が安置されていた。
木製の女神像は、顔と手足の先以外は、全て黄金と宝石で飾られていたといわれている。

神殿は、女神像以外にも多くの芸術品を所蔵して、金銀に彩られた柱のみならず、フェイディアスなどの高名な芸術家達の彫刻などで溢れていた。

豪壮華麗なアルテミス神殿は、旅行者の注目の的になり、商人や各地の王や観光客などが訪れて、宝石や様々な品物を奉納して、女神アルテミスに敬意を表した。

こうして、エフェソスはアルテミス信仰が築かれていった。

しかし、人々に長く崇められたアルテミス神殿も、ローマ帝国の統治下にあった262年に蛮族の襲撃を受けて、徹底的に破壊されて、6世紀には石材として使用する為に大部分が持ち出された。

神殿の跡地には、後にキリスト教の教会が建ったといわれている。

神殿建築の流れ

壮大なアルテミス神殿は、千年の間に3度の再建が繰り返された。

🔷️紀元前7世紀頃
🔷️初代アルテミス神殿の建設(現在の場所)

女神アルテミスは、富のシンボルとなって、ギリシア・メソポタミア・エジプトの人々が女神の恩恵に預かろうと集まった。

🔷️1度目の神殿破壊
Cimmerianが侵入して.初代アルテミス神殿が焼失した。

🔷️紀元前6世紀
2度目の神殿建設(現在の場所)
リディア王国のクロエサス王が再建する。

🔷️紀元前4世紀、2度目の神殿焼失。
3度目の神殿建設(現在の場所)。
3度目の神殿焼失。

アレクサンドロス3世の援助なしでエフェソス市民が再建した。
今度は105m×55m×高さは25m。

🔷️3度目の神殿破壊(放火で焼失)

以降、神殿は再建される事なく、現在の部分部分を重ねた円柱T本だけが残るのみとなっている。



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